帰国事業は、差別と貧困にあえぐ在日朝鮮人を祖国に帰す人道事業として、朝鮮総連が推進し、自民党から社会党、共産党までが賛成しました。帰国事業には多くの政治家や、地方自治体、労働組合、マスコミ、文化人が協力し、在日朝鮮人と日本人が共同して推し進めました。いわば、日本社会全体で93,340人の背中を押して北朝鮮に送り出したと言えます。
1959年12月14日、新潟港から朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)への帰国第一船(975人)が出港しました。1959年から25年間にわたって行われた在日朝鮮人の北朝鮮帰国事業では、日本国籍者6,730人を含む93,340人の同胞家族が、北朝鮮に渡りました。当時の「在日」人口の実に6.5人に1人にあたります。