1948年、北には社会主義を指向する朝鮮民主主義人民共和国、南には資本主義の大韓民国が創建された。それ以来、人々は互いに往来が許されないまま、北と南に分かれて70年以上暮らしてきた(厳密には、1950-53年の朝鮮戦争の間に南北間でかなり大きな人の移動があったので、65年以上と言うべきか)。もともと同じ民族ではあるが、異なる体制のもとで暮らしてきた人々の意識はどのような影響を受けただろうか? このような問いに答える研究が、ソウル大学の研究者によって発表された。
脱北者205名と韓国の大学生246名を被験者として、意識や行動に違いがあるかどうかを調べたものである。アンケート調査のように質問に対する答えを求める方法ではなく、実験室で実際にお金のやりとりを伴うゲームをやらせている。意識調査の場合は、どのように答えようが得にも損にもならないが、実験室ゲームでは、行動の結果によって金銭的報酬が変わってくるので、被験者は真剣にゲームに取り組むことになる。
興味深い結果の一つは、北の人は南の人に比べてより平等主義的であるということ。言い換えれば、南の人はより利己的である。この結果は、次のようなゲーム(独裁者ゲームと呼ばれる)を行わせることにより得られた。被験者の中から2人をペアとして選び、そのうち1人にたとえば1万ウォンを渡し、もう一人にいくら分配するかを決めさせる(その金額は本当に渡される)。完全に利己的であれば1ウォンも渡さないし、完全に平等主義であれば5千ウォン渡すであろう。結果、北の人は平均して4500ウォン、南の人は2500ウォンを相手に与える。また、南の人は、相手が北の人の場合、相手が南の人であった場合よりも多く与えることがわかった。北の人は、相手が北であろうと南であろうと与える金額に差はない。このことは、南の人が北の人に対して格別に博愛的な感情を持つことを示唆している。
もちろん、それぞれのグループ内の個人は同質ではない。北の人のグループの中にも南の人のグループの中にも、多く与える人と少なく与える人がいる。著者たちは、このような分配行動の違いが、制度に対して各者が感じる意識の違いに関係するのではないかと考え、各被験者に制度に対する意識を別途聴取した。制度に対する意識は、市場経済と社会主義計画経済のどちらを支持するか、一党独裁と多党制のどちらが望ましいか、などという質問に対する反応により測る。そして各個人ごとに、上のゲームの行動記録と制度に対する意識との関係を分析した。その結果、市場経済に対する評価が高い人ほど、相手に与える金額が少なくなることがわかった。そしてこの傾向は、南の人ほど強いことも明らかとなった。
以上の分析は、洗練された統計学の手法を駆使して注意深くデータの処理を行うことで、暮らしてきた制度の違いによる影響のみを取り出した結果である。
他者に対して思いやりを持つというのは、人として好ましい性質と考えられる。しかしそれが、圧制や貧困のもとで暮らしてきた結果だとすると、なんだか複雑な気持ちになる。しかもそのような制度に対して肯定的な評価をする人ほど、思いやりがあるという傾向があるとは。
また南の人が北の人に対して博愛的な行動を選ぶのは、北の人の窮状を知り同情したからと考えられる。日本では、かつて「同情するなら金をくれ」という名台詞が流行したが、まさに同情を金に換えた行動と言えるかもしれない。
この研究は、70年もの分断が人々の意識や価値観に及ぼした影響を明らかにしたものだが、そこでは、分断前は南北朝鮮の人々の間に差はなかった、ということを前提としている。これについては疑問を感じる人もいるだろう。たとえば日本でも関東人や関西人など、地域ごとの気質の違いはよく知られている。しかしこの研究で見たような、分配に関する行動が地域間でこれほど異なるとは考え難い。日本でそんな研究があればおもしろいが、だれかやってるのだろうか。(M)
*なおこの論文は、匿名の審査を経てJournal of Comparative Economicsという国際的学術誌に掲載されたが、
から読むことができる。(英文)