◆招待所で兄との再会
石丸:清津の港に着いたら宿所に入ります、そこから、配置先が決まって配置先に行くんですけど、その間一週間から二週間くらい、招待所というところにいますね。そこでの食事のことをおっしゃっているのですね。
朴:お醤油の臭い、味噌の臭い、もう、食べられなかったです。
石丸:それは、臭いがきつくてということですか?
朴:ええ。
石丸:日本のものとは違った?
朴:違ってました。
石丸:その後、先に帰られたご家族とは、招待所であったんですか?
朴:兄が来てました。
石丸:何とおっしゃいましたか?
朴:その時、100ウォンと言ったら大きいお金ですよね。それで、200ウォンくれました。このお金で、何でもいいから、商店で売っているものを全部買って来いというわけなんです。
石丸:招待所の商店にあるものを?
朴:ええ、外でそんなもの売っていないから。お金全然残さないでいいから、何でもいいから買って来いって言われて、外で買えばいいじゃないと言ったら、売っていないっていうわけなんです。そんなもの、外では何にも売っていないよって。だから何でもいいからお金を残さずに買って来い。で、200ウォン分全部買って来ました。
石丸:何を買ったんですか?
朴:よく覚えていないけれども、食べるものやら、駄菓子、それからもう必要なものは、何が必要なのかわからないけれども、突発的に全部買ってしまいました。それで持って帰ったら喜んでましたね。こんなもの食べたことないって。
石丸:招待所に来ていたお兄さんは何とおっしゃいましたか?
朴:最初に見た時は、「何で帰ってきたの?」と怒ってましたね。怒っているというよりも、かわいそうだから、同じ目に合うから。
石丸:それで、お兄さんたちがいらっしゃる町に、同じ●●市に配置されるんですよね。
朴:はい、同じ町に住みました。
石丸:そこで生活が始まります。最初は、アボジ、オモニと一緒に暮らしていたんですか、結婚する前は?
朴:私が帰ったのは、父が亡くなった後でした。
石丸:では、オモニと一緒に暮らしていたんですか?
朴:一緒に暮らしていたんですけれど、私が行ったときはもう寒くて。職場はもう決まっていたんですね、私が行く前から。だけど寒くて、一カ月間職場に行けなかったんです。行けなかったら、配給の切符が職場から出るんです、出るんですけど、切符ももらえなかったです、一カ月。働かなかったから。
石丸:出勤しなかったんですね。
朴:ええ、出勤しなかったから。
石丸:配給票をくれなかった?
朴:ええ、それでもう、闇で買って食べて。だけど、闇で買うと言ったらお金が必要でしょう。だから日本から持っていった服なんか、何でも衣類を売ったり、なんか他の物を売ったり、売り食いです。
石丸:日本から沢山荷物を持っていかれたんですか?
朴:沢山って、そうですね、私が行くときは少し持って帰りました。兄さん、親兄弟が帰る時は、父親が、家を、土地を持っていたから、その土地を売って、それでいろいろ買って、帰りました。
◆配属された町での生活
石丸:配属された町はどんな町ですか、わりと大きい所じゃないですか?
朴:家は小さな家で、部屋が二つ。
石丸:アパートですか?
朴:アパートじゃなくて平屋です。平屋でしたけど、そこに石炭を焚いて、その時は練炭もなかったんです。石炭も、粉の石炭を、水を少し入れてね、焚いていたんだけど、その石炭のガスを吸って、もう、そういう人もいました、中毒になるんですね。だけど仕方がない、寒いから火を焚かなければいけないでしょう。だから、それで生活してたんですけれど、水道もなくて、井戸まで行くのに50メートルくらい行って、水を汲んで、そこは寒い所だから、水を汲みながら、そこで水が少しこぼれるでしょう。そこは寒いから、その水が凍って、滑って転んでしまったら大変なんですよ。で、先に行った兄が水を汲んで、その水を壺に移して、あくる日見たら、凍っているんですよ。その炊事場でも寒いから、もう、苦労しましたよ。
石丸:職場ではどんな待遇だったんですか? まだ社会主義のシステムが生きていた時代ですから、給料と配給があって、家賃はタダでしょ、一応。
朴:タダじゃあないけど、タダみたいなもんですよ、安くって。
石丸:給料はいくらもらって、配給はどんなものが出ましたか? 食べ物だけじゃなくて、副食であるとか、肉とか、ビールとか、お茶とか、お菓子とか、どんなものが出ましたか、当時。
朴:副食物と言ったら特別なものはなく、海苔があるでしょ、海苔をたくさん買って食べてました。
石丸:海苔は売ってたんですか?
朴:買うのに、私と親兄弟が住んでいた家はちょっと田舎なんですね。それから、海苔を買おうと思ったら街に出なくちゃいけない、街に行こうとしたらバスに乗っていかなけりゃいけないんだけど、そのバスも、日に何回しか出ない、それで歩いて行けばもう二時間くらいかかる。でも歩いて行って、海苔を買って、食べるものが他にないから、副食物って何もないから。そして豚肉を、一年に何回か、名節(祝日)の日には豚肉の配給があるんですね。その配給10キロくらいもらったら、それで、肉を長持ちするように食べようと思ったら、水をたくさん入れて、おつゆに、汁でも沸かして食べなくちゃ、一度で食べてしまったらそれで終わりだから、そういう風に節約しながら食べたり。あと、畑がちょっとあったから、畑で、大根、白菜、そんなのは少し煮炊きして食べてました。
石丸:日本におられるときは何かお仕事はされていたんですか?
朴:うーん、していたのかなぁ。
石丸:それで朝鮮語は、日本にいる時からおできになったのですか?
朴:日本にいるときは朝鮮語はできない。
石丸:では、言葉も苦労されたでしょう。帰国されてから学んだんですか?
朴:何年かしましたね。覚えるために。
石丸:それは学校などに行かれたんですか?
朴:学校は行きませんでした。
石丸:帰国されたのは22歳の時ですね。どうやって勉強したんですか?
朴:もう一人で覚えました。誰も教えてくれる人はいないし。
石丸:頭が良かったんですね。
朴:いやいや、頭がいいわけじゃないけど、兄弟たちが書いているのを見たり、どうやって覚えたのかも、もう覚えていません。
石丸:ハングルは書けたんですか、日本にいる時。
朴:ええ、書いていましたけど、今でも正確じゃないです。書けることは書けるんだけど、日本語の字と少し違うから、今でも正確ではないんです。読むのは読むけど、書いたりするのはちょっとよく書けない、恥ずかしいことですけど。
石丸:20代の前半で帰国されたということは、まだ青春の真っ只中じゃないですか。それで、日本とは違う社会主義の、まだ革命をやろうという時代の北朝鮮ですよね。娯楽もあるわけじゃない、日本から行った感覚だと不自由も多かったと思うんですけれども、どんな青春だったんですか、毎日どんなことを考えておられましたか?
朴:そうですね、自分は、もう恋愛もしたことないし、もう若い時の楽しみというのは覚えていないです。全然わかりません。
石丸:先に帰られたご兄弟は、どんなことをおっしゃってましたか、朝鮮のことを。皆さん、また帰れるもんなら日本に帰りたいとか、そんなことおっしゃってましたか?
朴:そうですね…ここに来たら、もうやれと言われたことはやって、もう不満は言わないで、そういう生活をしなきゃしょうがない、もう来た限りはどうにもならないんだから、そんなこと言ってましたね。
石丸:やっぱり当時も言われた通りしなければいけない、不満を言うこともできなかったんですか? まだ60年代の前半なのに。
朴:家の中ではちょっと言ってましたけど、一歩外に出たら危ないですね、そんなこと言ったら。
石丸:住まれた●●市は帰国者が多かったんですか? 周辺とか街には沢山帰国者住んでおられましたか?
朴:ええ、いました。
石丸:よく、脱北した帰国者の証言の中で、帰国者同士が集まって、その場で日本の言葉を使い、日本の歌を歌い、日本の食べ物を食べて、ということをよく聞くのですけど、そういう帰国者同士の集い、そういうものは?
朴:ありました。あって、その時はちょっと、自分の言いたいことも言ったり、食べるものも、変わった食べ物があればみんな集まって、食べて、遊んで、そういう集いはありました。
◆北朝鮮の現地の人との溝
石丸:北朝鮮の人たちが帰国者を見る目というのはいかがでしたか? 北朝鮮の人たちは、日本、帰国者のことをどういう風に受け取っていたんでしょうか?
朴:どういう風に見ていたかと言ったら、憧れっていうのか、韓国の言葉では、プロウォハンダ(부러워한다)という、妬みでもないけど憧れですね。あと、うらやましいという、そんな気持ちを持っているようでした。
石丸:どうしてでしょうか?
朴:やっぱり、そこ(北)は食べるものも不足だし、若い人が遊ぶところもないし、ただ職場に出て真面目に働けば、それだけしかないから、楽しみもないし、だからじゃないですか。
石丸:ではどうして、現地の人は帰国者をうらやましがったんですか? それは日本からお金がくるからですか?
朴:お金も送ってくるし、自分たちが着ているものもそうだし、そういう不満があったからじゃないですか。日本から食べ物を送ってくる人もいるし、やっぱり、うらやましがってましたね。
石丸:これも脱北した方がおっしゃってましたけど、現地の人と日本からの帰国者の間に溝ができると。帰国者のことは「ジェッポ」、「キッポ」という蔑んだ言い方をすると。「ジェポ」というのは「在日同胞」、「キッポ」は「帰国同胞」から来た言い方ですよね。帰国者たちは現地の人のことをどう呼んでいたんですか?
朴:「ゲンちゃん、ゲンちゃん」と言ってました。ゲンちゃんというのは、現地で生まれた人という、そういう意味みたいですね。ゲンちゃんと言ったら、ちょっと蔑むような、ニュアンスもあったし、ゲンちゃんと言ったら、向こうの人は、あまりいい気はしないみたいだったですね。帰国者が集まったら、あのゲンちゃんはなんとかかんとか、と言うんですよ。
石丸:葛藤があったというか、すぐには溶け込めなかったんですね。
朴:ええ、そうです。
石丸:日本から帰ってきたことで、どうしても日本語が主となる、日本的な文化、食べ物に慣れているじゃないですか。それに対して、例えば「日本野郎」とかね、「ウエノム」とか、「チョッパリ」とか、そういう言い方をされたりはしませんでしたか?
朴:そういう人もいました。帰国者がゲンちゃんと言ったら、向こうの人たちは向こうの人たちで、同じようにそう言うことはありますね。ですから、溝ができてました。
石丸:何となく合わないというのはありますか?
朴:ええ、合わないですね、やっぱり。
石丸:それは、日本の資本主義的な文化、感覚、物質の世界から来た人と、向こうの社会主義の考え方とか。
朴:うらやましがりもするけど、やっぱり、そういうこともありましたね。生まれが違うという事よりも、環境が違うというのはありました。(続く)