当会が社団法人となって間もなく4年になります。帰国者50人からの聞き取りという目標は、新型コロナウイルス禍で時間がかかってしまいましたが、2022年春に何とか達成することができました。ご支援、ご協力いただいた多くの方に、心より御礼申し上げます。

活動報告会を兼ねたイベント「北朝鮮に帰った在日を記録する意味」を6月5日、大阪で開催いたしました。当日は新型コロナウイルス対策のため入場予約制を採ったのですが、65名の方にご来場いただきました。以下、イベントとこれまでの調査の概要を報告いたします。

第1部 聞き取り調査の概要報告 石丸次郎(事務局長/ジャーナリスト)

2022年春までに実施した脱北帰国者への聞き取りは、目標の50人に達した。以下は、その概要である。

1人当たり平均8時間のロングインタビューを完全録取。

●50人の聞き取りの内訳
大阪12人
東京11人
韓国27人
(50人はすべて日本生まれで、北朝鮮出生の2-3世は含まない。日本人妻は4人)

1930年代生まれ 4人
1940年代生まれ 25人
1950年代生まれ 17人 (脱北帰国者一世の多数)
1960年代生まれ 4人
(1920年代生まれの日本人妻に面会したがインタビューは謝絶さる)

最年長は1936年生まれ。
最年少は1968年生まれで、8歳で1976年に帰国。

1970年代帰国…「サイキン・カエリ」 は8人。
あとはほぼ1963年以前の帰国。

※韓国入りした脱北者数のピークは2009年。この当時、高齢の帰国者が中国に越境することは困難であった。

また日本、韓国入りした後に死亡する人が出ている。

●日本の出身地(ざっと多い順)
東京、大阪、愛知、兵庫、福岡、石川、京都、山口、茨城、岩手、岐阜、福井、三重、青森、宮城、鳥取、奈良、広島、岡山、滋賀、高知

●配置先
咸鏡北道21、両江道6、咸鏡南道5、平安北道2、平安南道4、黄海南道2、黄海北道4、平壌2、江原道3、滋江道1

※帰国時の配置先の多少を意味しない。脱出しやすい中国に近い北部の人が多い。

●出会えなかったケース
60年代中盤以降に多かった「技術者集団」
朝鮮大学卒業生
日本人夫
大村収容所出身者
※刑務所収監中に横浜入管から強制送還の形で72年に帰国船に乗った人がいた。

第2部 講演 「9万3千人が海を渡った帰国事業を今、考える」  髙栁俊男法政大学教授

「帰国事業」を考える過去、そして現代的な意義と課題について、高柳さん自身のこれまでの研究活動、在日朝鮮人史研究者らとの交流や共同作業についても踏まえながら言及された。この大量帰国の背景には、当時の在日朝鮮人の将来の展望の無さや、日本社会の閉鎖性、日本政府からすれば政治的・経済的に日本に不利益をもたらすと目された人々がいなくなることに利益を見出していた等様々な背景要因があり、決して二分的思考に陥るのではなく、双方向の視点で、複雑な歴史を「複雑なままに捉える」ことが大事であることを強調された。

現代的な課題としては、去る2022年3月に判決が出された「帰国者裁判」での高柳さん自身のかかわりについてお話くださった。この裁判は帰国当事者の5名が北朝鮮政府を相手取り損害賠償を求めたもので、高柳さんは川崎栄子さんや訴えた人たちの無念の思いに寄り添いたい、人々の記憶から消えつつある北朝鮮帰国事業に光を当てる契機に、という思いで「一専門家としての証言」という役割に徹された。

また最近の「ポドナム通りリニューアル」の活動についても紹介された。「ポドナム通り」とは北朝鮮への帰国船が出航した新潟港に通ずる道路沿いに、在日朝鮮人らが柳の木を記念植樹したものだ。それから60年以上が経ち枯れてしまった木も多く、当初の3分の1以下になってしまっているそうだ。それを市民の手で補植することで、帰国事業への関心を喚起し、新潟を自由と人権の象徴の地にしようというテーマで行われている。

このボトナム通りを通って帰国していく人々で最も新潟港が盛り上がっていた頃、よく歌われたのが「建設」という歌だった。1番から3番まで「豊かな朝鮮、自由な朝鮮」とリフレインされるこの歌は、シベリア抑留中にある日本人が「社会主義国はそうであるに違いない」と思い作った歌だと言う。「主義思想による思い込みを乗り超え、自分の目で見て、考えていく。事実に基づいて捉えていくことが必要で、冷静かつ客観的、あるいは多面的、双方向的に粘り強く考えていく態度がとりわけ朝鮮問題には求められていくと思います」と高柳さんは強く述べられた。

第3部 記録映像「帰還船1959-第一船」上映  解説 康浩郎さん(映像作家)

在日の映像作家・康浩郎さん(1938年大阪生まれ)が、日大芸術学部在学中に帰国第一船の出港までの様子を、品川駅・日赤帰還列車発車時、新潟日赤センター内の帰国者と家族(帰国意志確認室)、ソ連のトボリスク号の離岸の様子など撮影した作品。

第4部 トークセッション    康浩郎さん×髙栁俊男さん×石丸次郎

康さんの解説と併せた映画鑑賞後、康さん・高柳さん・石丸によるトークセッションを行った。高柳さんからは康さんへ今後の映像補修の展望についての質問と、「帰国意思確認」のシーンについて補足解説がなされた。日赤としてはかなり厳密な意思確認をしたかったものの、それに対して総連が反発し、その段階で日赤が調整したことで、映像内にある意思確認の様子に至った点について、会場内で確認した。

康さん自身は常に組織活動や思想への違和感を抱えて、当時総連内での映画作りのプロセスにも失望していたことや、映画製作の前史として小松川事件との関わりの中で自身のアート性を見出されたご経験、そして帰還船の撮影は継続出来なかったものの、「帰国者のその後」に常に関心を持ち続けていたことなどを言及された。「政治的な関心ごと、流れで物事を考える前に、我われ在日の心の底にある何かと触れ合うところで<アート>だろうと。そこから在日が育っていくし変わっていく、成長していく。その中で、私は映画を作るしかないと感じていました」と康さん。

また、来場していた大阪在住の脱北帰国者3人から帰国船に乗った当時のことについて言及があり、参加者から「映像資料に残す大切さを感じた」というコメントがあった。

 

 

ご家庭に眠る写真や映像資料の提供にご協力ください

私ども「北朝鮮帰国者の記憶を記録する会」では、皆様がお持ちの帰国事業にまつわる写真や、8mmフィルムといった映像資料等、後世に伝える資料として保存するためにご提供をお願いしております。

北朝鮮に渡航する前の生活や帰国船を待つ様子、「祖国訪問」の時の思い出など、ご家族やご親戚の写真をお持ちでしたら、ぜひご協力ください。
(2020年9月14日)

おすすめの記事