昨年、学生時代からの親友3名とそれぞれ細君を連れ立って6名で韓国の南部を訪ねる旅行に出かけた。プサンで海産物に舌鼓を打ち、世界遺産に指定されている「高麗八萬大蔵経」のある海印寺を経てピビンバで有名な全州、世界5大沿岸湿地の1つ「順天湾自然生態公園」のある順天、そして韓国民主化運動の象徴的な事件があった光州市を訪れた。名優ソン・ガンホが演じた、映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』の舞台になった、現代韓国でもっとも悲惨な事件と言われた「光州事件」の地を初めて目の当たりにした。
「5・18자유공원(5.18自由公園)」でのこと
私たちは公園の主旨をわからずうろうろしていたところ、ちょうど教師に引率された光州市内の小学生の集団に出くわした。どうも授業の一環で社会見学に来ていたらしい。ボランティアの解説員が子供たちに話を聞かせていたので、そこに近寄り「日本から来た在日韓国人ですが一緒にお話聞かせていただいていいですか?」「皆さんは韓国語を理解できますか?」「はい」
収容所跡で解説していたボランティアの女性は1980.5.18戒厳軍に連行され、拷問を受けていたそうだ。「この狭い部屋に150名が何日も詰め込まれ、過酷な拷問と虐待で精神の限界にありました。奴ら(戒厳軍)は人間じゃない。私たちを犬や豚のような扱いをした」と言いその時の様子を寸劇で再現されていた。
帰り際、その女性に質問してみた。「当時、戒厳軍の人たちは今も生存しています。そういう人たちに対して今を生きるあなたは何を思いますか?」「そういう人たちの中には今はその贖罪に苛まれ懺悔を乞う人も多くいます。しかし『そんなことはなかった』という人も『軍人として命令に従うのは当然でなんら悪いことをしたと思っていない』『韓国に於いて 빨갱이(赤野郎)は排除しなければならない』という人もいます。私はそういう人たちに対して怨念もありません。それは世界中の人たちが、あの時の私たちの行為を『現代韓国に民主化をもたらした勇気ある行為』として称賛を受けています。そしてそういう人たちは歴史がどんどん暴き糾弾しているからです」
彼女の言葉に胸が震えた。
映画『タクシー運転手~約束は海を越えて』
一昨年の夏、息子とプサンを訪ねた時、公開以来、韓国国内で大ヒットを記録していた映画『タクシー運転手~約束は海を越えて』が公開されていた。帰りの飛行機の時間が迫りスケジュールが合わず後ろ髪引かれる思いで観ずに帰ってきた。待ちに待ったこの映画が昨年日本で公開された。公開日の朝一番で観てきた。
この映画の背景となっている『光州事件』とは、前大統領朴槿恵の実父、軍事独裁者朴正煕大統領暗殺後、民主化の機運が高まった韓国で再びクーデターにより全斗煥軍事政権が誕生した。そしてまた韓国に暗い雲が立ちこみ始めた。その最中民主主義政治家であり市民運動家でもあった金大中が逮捕され、これを契機に1980年5月18日から27日にかけて韓国の光州市を中心として、民衆たちが民主化を求め立ち上がった。韓国民主化運動の象徴的なこの事件は、死者170名(戒厳令軍発表)とされているが1000名とも2000名とも言われている。
このフライヤーの抜けるような笑顔が、この作品に笑いとともに当時の韓国民衆の民主化への渇望がリアルに伝わってくる。そして、事件の残忍さや悲劇がひしひしと観る者の心に沁みてくる。
冴えない男ヤモメのタクシー運転手マンソプ(ソン・ガンホ)は4か月分の家賃を滞納するくらい、とにかくお金がなくて成長期の一人娘に運動靴も大きいのを買ってあげられない。その貧困さをあの笑顔で乗り切ろうとするのだがうまくいかない。「光州まで外国人を送迎すると大金が入る」という話を昼食時にタクシー同僚が話しているのを小耳にはさむ。ちゃっかり出し抜いてその仕事を横取りしてしまう。ズルいのだ。サウジの出稼ぎで覚えた(?)という英語もほんとにテキトーなのだけれども、どれもチャーミングでどこか憎めない。ソン・ガンホの上手さはこういうところにも出てる。簡単な仕事だと思い、ドイツ人の男を乗せ光州に向かうのだが、そこはマスコミが一切報道していない地獄絵図だった。
作中、催涙弾の煙のむこうから現れるガスマスクで顔を覆った戒厳軍の兵士が無差別に市民を銃殺する。目を覆いたくなるシーンなのだが、彼らは何を思ってそして2019年の今何を感じているのだろう。彼らの中にもこの映画を観た元兵士も多くいるに違いない。
タクシー運転手マンソプは年齢から推察するに朝鮮戦争をリアルに体験しているだろうし、戦後最貧の状態の韓国社会を経ているだろう。マンソプは反体制とかデモをしている人を憎む。「政府の言うことを黙って聞いていればいいじゃねえか。親のすねをかじって大学に行かせてもらってるボンボンが政府に逆らって左翼のどうしようもない北朝鮮のスパイだな!」「国民の敵だ!」と思っている。当時の戒厳軍も同じように思っていたのかもしれない。「北のスパイは殺されて当然だ!」「国民の敵を殺す自分は愛国者」・・・はては「軍の命令に従っているだけで職務を遂行しているだけ」と思っていたかもしれない。
まさしくハンナアーレントの言う「悪の凡庸さ」がうかぶ。ここでふと連想したのが、今から71年前、韓国済州島であった大惨事「4・3済州島事件」だ。あの戒厳軍のメンタル・・・それは当時の南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察などが私の脳裏をかすめた。
「高地戦」「義兄弟」「映画は映画だ」を撮ったチャン・フン監督の映画は題材やシナリオ、出演者の演技の上手さに助けられていい映画が多いのだが、この映画も含めて私は正直あまり評価していない。この映画もソン・ガンホの名演技と実話に基づいたシナリオ「光州事件」という現代韓国を語るに決して忘れることが出来ない悲劇がこの映画を魅せているのだと思う。
自身も光州事件経験者である文在寅大統領は「文在寅政府は光州民主化運動の延長線上に立っています。新政府は5.18民主化運動とろうそく革命の精神を仰ぎ、この地の民主主義を完全に復元します。光州の英霊たちが心安らかに休めるよう成熟した民主主義の花を咲かせます。」と語る。
また文在寅大統領は選挙活動中、憲法前文に光州事件の民主化運動の精神を盛り込むことを公約している。
映画でも重要な役を演じているドイツ人記者故ユルゲン・ヒンツペーターの妻は2017年8月ソウルを訪問し、亡夫の実話に基づいた『タクシー運転手』その家族に加え文在寅大統領とともに鑑賞した。
鑑賞後ムン大統領は『光州事件の真相は完全には解明されていない。これは我々が解決すべき課題であり、私はこの映画がその助けになると信じている。』と語った。
もうすぐ光州事件から39年。烈士たちの崇高な精神に合掌。(S)