韓国映画のご紹介です。

大日本帝国の朝鮮強占期時代に、当時の朝鮮と日本で活動した民族主義者、ニヒリストでアナキストの朴烈。朴に共鳴した日本人思想家、金子文子。 1923年の関東大震災朝鮮人虐殺事件をはじめ、皇室暗殺を計画したという「大逆事件」を通して、文子と烈の生きざまと愛の形を描いた韓国の歴史映画、伝記映画です。

『金子文子と朴烈』イ・ジュンイク監督 予告編

『金子文子と朴烈』予告編

 

無政府主義者の朴烈と日本人女性金子文子が、互いを伴侶としてそして同志として描いた痛烈な映画だった。
文子が烈に一方的に交わした約束は
その一、同志として同棲すること。
その二、運動活動に於いて金子文子が女性であるという観念を取り除くこと。
その三、一方が思想的に堕落して権力者と手を結んだ場合には、直ちに共同生活を解消すること。

金子文子と朴烈の約束

 

この約束が二人の形なのだ。

文子は9歳の時、朝鮮忠清北道の実父の妹の結婚先に引き取られ養女となる。しかし、養家先の親族から無理解な待遇を受け続け自殺を考えるほどであった。1919年、朝鮮民衆にとって象徴的な「3.1独立運動」を目の当たりにする。命を賭して権力に対して反抗する姿を観て、自分の境遇を重ね合わせそれに深く共感する。彼女の反権力思想の発端となったのはこの時だった。

舞台は激動の大正末期の東京。社会主義者であって無政府主義者の朝鮮人、朴烈の「犬ころ」という散文詩に深い感銘を受け文子は朴烈と出会いお互いに引き合いながら二人は同居する。

この物語はここから始まる。

文子を演じるチェ・ヒソが何とも言えなくチャーミングなのだ。ふと仲間由紀恵を連想してしまった。朴烈を演じたのは『建築学概論』で、もやもやするシャイな男の子を演じていたイ・ジェフン。しかしまぁ彼が朴烈を演じると聞いて正直「大丈夫かいな」と思ったけど、スクリーンの中の彼は朴烈そのものだった。才能あるのだな。劇中、金子文子と朴烈の弁護を担当する、布施辰治弁護士がこの映画にスパイスを利かせていた。在韓日本人俳優の山野内扶さんだ。

この映画で、朴烈と言う人物の描写は、反権力主義でアナキストと表現されているが、強烈な民族主義者としても描かれている。大逆罪で死刑宣告されるのだが恩赦によって無期懲役に減刑される。朴烈は激怒し減刑拒否を宣言した。その激怒した理由が「天皇の慈悲」という。自身の民族の尊厳を蹂躙する天皇制、それが許せなかった。自身の民族の敵である天皇に憐れみを与されることへの侮辱。それにこだわった。つまり、自身の"命"より"生きざま"の尊厳にプライオリティーをおいたのだ。

 

金子文子と朴烈

 

しかし、現実の朴烈は後年日本の敗戦とともに保釈される。その後の彼は様々な転向を繰り返している。現実に無政府主義から反共主義に転向し、反共主義団体を結成、在日本大韓民国居留民団(現在日本大韓民国民団)の初代団長に就任、次期選挙で敗北後韓国へ帰国。朝鮮戦争で北朝鮮の捕虜となり、後に反共から容共に思想転向を表明した。北朝鮮の南北平和統一委員会の副委員長を務める。

 

晩年の朴烈

 

若き日の朴烈の生きざまから想像できない変節を繰り返している。だがそのどれも「朴烈」以外何者でもない。それが朴烈なのだろう。(S)

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(2020年9月14日)

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